1. 年度末。

年度末。

高等部泉中央教室

ここにきて雪かよ、どうも紫竹です。

仙台は油断できないですね。まだ冬タイヤでよかったです。

 

速いのか遅いのかわかりませんが、年度末です。

明日から2019年度です。

もう西暦だけでいいんじゃないかな。世界に合わせて。

どうか一人の政治家が元号に思いを込めて決めるような越権行為が無いことを祈ります。

 

DOMMUNEと某テレビ番組がバズった件、

酷い話だなと思います。

事情や背景を知らない者が、軽々しく意見してはならない。

挙句、売名行為だと卑下する始末ですからね。最低です。

 

これは日常生活にも当てはまることです。

私は生徒から何か相談を受けたとき、まずいろいろ聞きます。

その上で、客観的にアドバイスをするようにしています。

 

なぜなら、私自身が、

「こっちの事情もわかんないのに偉そうに意見してくんなよ」

と思ってしまうタイプだからです。

自分がされたくないことは人にもしたくないです。

 

というか、聞かれるってことは自分の説明が不足している、という意味ですからね。

コミュニケーション力とか読解力とか、

そういうのを「相手が勝手に空気を読んでくれる」と都合よく解釈しないことです。

我々も、友人も、家族でさえも、あなたの事情のすべてはわからないものですから。

 

私の授業は基本的に講義形式です。超喋って伝えまくります。

私が高校生のとき、そういう授業の方が身になったと感じているからです。

対話の多い授業は嫌いでした。中身が薄いから。

もちろん、「対話が多い⇒中身が薄い」という命題が真であるとは限りません。

少なくとも私の経験上は、ということです。

 

高校時代にお世話になった

数学のI先生、

化学のF先生とF先生(たまたまイニシャルかぶってる!)、

みんな講義形式でした。発問なんてめったにしない。

だから情報量が多くて、頑張って聞かないとついていけなくて、

授業時間があっという間に過ぎていった記憶があります。

 

まあ、不真面目だった私は結局自学しましたけど、

自学して基礎知識を身につけた後は一層その講義形式の授業の良さを体感できました。

I先生の口癖をノートの上部にメモする余裕もできました。

 

対話型の授業はだいたい遅いので、緊張感が無いんですよね。

「当てられるかもしれない!」なんて言ったって、

小中高とずっと「わかりません」と言えば許された経験がありますから、

何の抑止力にもならないわけです。

(小学生は「考え中です」でしょうか)

 

これは教える仕事を始めてから気づいたことですが、

「対話型なのに速い授業」は「いろいろと端折っている」ことが多いです。

新しいことを学ぶって、そんな簡単じゃないです。

覚えることもたくさんある。

「ポイントだけ押さえる」なんて虫のいい話はないのです。

 

上記は完全に私の私見です。

対話型の授業を否定したいわけじゃないです。

いろんな授業があっていいと私は思うのです。

全員がアクティブラーニング(すでに私語)をしなければならないなんて、

常軌を逸しているなあと思うんですよね。

 

それが「多様性」なんじゃないですか?

 

今日の音楽は 36歳のリアル です。この人は本物だと思う。

高等部泉中央校 紫竹